かんぼつの雑記帳

日々考えたこと、感じたことを気ままに投稿しています。更新は不定期ですがほぼ月一。詳しくはトップの記事をお読みください。

オタ活まとめ02(2019年冬クール)

 去年の末に書いたオタ活まとめの第二弾です。とはいえ、前回は一年単位で鑑賞した作品を振り返るということを試みたのですが、この区切り方だと年のはじめのころに見たものほど展開を忘れていたり思いが薄れていたりであんまり語れないという問題が発生したので、これからはできるかぎりアニメでいう1クール単位で感想をまとめていこうと思います。

 基本的に自分用の備忘録ですが、これからなにか新しい作品に出会いたいな、と思っている人も、参考にしていただけると。
 以下、おしながきです。

 

 

◯2019年冬アニメ

ガーリーエアフォース


 友人のすすめで見てみたら一度も見たことがないはずなのに懐かしさすら覚えたという、古き良きTHE・ラノベ原作アニメでした。
 このアニメはとにかくキャラデザと声優の声が良いのでヒロインがめっちゃかわいいです。とくにメインヒロインであるグリペンと終盤の展開で重要な役割を担うライノが僕の好みで、展開そっちのけで萌え豚していた感があります。あとこのアニメで森嶋優花グリペンのCV)と白石涼子(ライノのCV)という固有名詞を覚えました。白石さんはだいぶベテランの方らしいのですが、声優に詳しくなくて…。
 あと、今作のみどころは個人的には終盤の展開です。もともとこの作品は正体不明の敵(戦闘機)に対抗するために、軍がその敵を撃墜した際に回収した部品を転用して作り上げた兵器の戦いを描くもので、その兵器としてグリペンやライノらヒロインが存在するわけなのですが、彼女らはいわば、どんな仕組みで成り立っているのか十全に把握していない、しかも敵のテクノロジーを転用した兵器なのですから、どんなイレギュラーな行動を起こすかもわからない。終盤の展開はそういった彼女らの「不気味さ」を描いたものです。
 ところで、正体不明の不気味な敵と人類との戦いを描く思弁的なハードSFといえば、、、そう! 神林長平先生の『戦闘妖精・雪風』シリーズですね! 実は高校生から大学生の時期にかけて神林SFにどちゃくそハマっていた時期がありまして、その並み居る名作たちのなかでも本シリーズは一、二を争うほど大好きなシリーズだったりします。
 それで話を元に戻すと、僕の推測では、この原作者、アニメ版の終盤にあたる箇所を執筆するにあたっては、この『戦闘妖精・雪風』シリーズの影響をめっちゃ受けているのではないかと思うんですよ。
で、同じくあれにガツンとやられた身からすると、(こういうことをいうのはおこがましいかもしれませんが)こういうことやりたくなる気持ちってとってもわかる気がするし、いいぞ! もっとやれ! ってなるわけですね。
 ガーリーエアフォースの終盤は雪風っぽくていいぞって話でした。

ケムリクサ

 いわずとしれたたつき監督のオリジナル新作アニメーション。どうやらこの作品とけ○フレ二期をめぐってはSNS上でいろいろ醜いやりとりがあったようですが、もう僕はそんな悲しい現実には煩わされたくないので、その手のメタな話は封印して、コンテンツの内容についてのみ話したいと思います。
 たつき監督の某前作の魅力は綺麗なストーリー構成と、散りばめられた謎、それからロードムービー的というか、旅をモチーフにしているということと、ポスト・アポカリプス的な世界観、ということになるのかもしれませんが、僕が今回ケムリクサを見続けてしまったのも、やはりこれらの要素が揃っていたからなのではないかというふうに思います。それにくわえ、今回は恋愛要素もあったため、ラブコメ大好きおじさん(僕)にはご褒美だったということがある。
 ただ、やはり尺の計算が足りなかったのか、少し最終話は走り気味で、アクションの作画などもところどころ雑だったような。これはどうしても放映の制約上仕方ないのかもしれませんが、最終話だけもう少し延長するとか、もう一話分余裕を設けるとかいうことをやってもよかったのかな、という気がします。

荒野のコトブキ飛行隊

 途中で見るのをやめてしまいましたが、音と空戦と会話劇がよかったので見始めた、という感じでした。左さんは好きなイラストレータさんなのですが、今回のキャラ原は個人的に好みではありませんでした。

盾の勇者の成り上がり

 冒頭のガバガバさはともかく、たぶん最初はいちばん楽しく見ていたし、「理不尽な目に遭い人間不信になった主人公が頑張って成り上がり自分を陥れたものたちを見返す」というコンセプト・面白ポイントが明確だったため安心して見ていたのですが、ところどころ見返す相手に対して与えられるしっぺ返しが手酷く、途中から「そういうことじゃないんだよなぁ…」となってあえなく途中で切ってしまったアニメでした。どんなに主人公と敵対するキャラクターが胸糞悪くても、それを徹底的に叩きのめしてひどい目に合わせるようなコンテンツって好きになれないんですよね。。。
 とはいえ、これは最後まで見ての感想ではないので、評価は保留です。

転生したらスライムだった件


 これも盾の勇者と同じくなろう系の異世界転生ものですが、こちらも結構面白かったです。主人公が転生前に願ったことがユニークスキルとして転生後に反映され、その結果めっちゃ強いスライムになってしまったみたいな話で、主人公が多種族のモンスターを味方に引き入れて勢力をどんどん拡大しつつ、自分自身も強くなっていくのが見ていて気持ちいい。ひたすら拡大していくというか、ひたすら上昇していくというか、そういう面白さ。
 難点をあげるとすれば、周囲のキャラクターが主人公にとって都合よすぎるところでしょうか。主人公に親を殺されたのにすぐに彼に懐いてしまう狼の魔物とか…ただここらへんの文句を言ってるとキリがなくなるし、彼の件については「まぁ人と魔物の感覚はまた違うだろうしな…」ぐらいに考えて、ある程度目をつぶっていました。

◯その他アニメ

銀河英雄伝説(新アニメ版)


 友人が好きなアニメで、勧められたので「じゃあ鑑賞会するか」って感じで突発的に一緒に見たアニメでした。
 全話見てまず思ったのは、作画が安定していたとか、過去エピソードがどっしりしていたとか、両雄の見せ場があったとか、社会情勢の描写が細かいとか、とにかくいろいろひっくるめて「ちゃんとした」アニメだったな、というものでした。またヤンもラインハルトもきちんと対照され、書き分けられていて、それぞれの魅力や陰影があったのもよかったです。とりあえず本作を見た限りでは僕はヤン派なのですが、それもヤンのほうが比較的描写の比重が多く、そのぶん複雑な陰影というか、立体感をもったキャラクターだったからというのがありますね。テンプレートな発言をしないというか、すごく彼独自の価値観に基づいてしゃべっている感じがあったのがよかった。
 それから、本作はちょっと僕のなかで転機になった作品でもありました。というのは、もともと僕はスペースオペラとか、戦記物とか、とにかく社会情勢やら、戦線の情勢やら、キャラクターたちの人間模様やらが複雑に入り混じる壮大でシリアスな物語についていけないところがあったのですが、本作を見てから、むしろそういうものを積極的に読んだり見たりしたいなと思うようになったからです。それでやはり世界が広がったということがあったので、自分が日頃見ないような作品を見ることの大切さというのはこういうところにあるんだろうなと、改めて感じた次第です。

この素晴らしい世界に祝福を!


 すでになんども見直しているアニメなのですが、またしても見直してしまいました。
 きっかけはFGO。この前の大奥イベのときにTwitterで回ってきたカーマちゃんのギャン泣き二次創作絵がアクアを彷彿とさせるもので、それを見たときに久々にアクアの哀れな姿がみたいなと思ったのでした。
 すでにべつのところで感想をだぁーっと書いたことがあるので、今回はとくにいうことはないです。相変わらず僕のこのすば視聴モチベーションは「アクアの情けないギャン泣きが見たい」なんだなということが再確認できたいい振り返りでした。雨宮さん本当にありがとうございます、アクアの演技大好きです。今年上映される劇場版が楽しみです。 

響け!ユーフォニアム(二期)

 経緯は忘れましたが突然思い立って見ました。見たのは冬クールというより秋クールの終わりなのですが、この前の記事に書いてなかったのでこっちに書くことにしました。
 本作の魅力というのを説明するのは難しいですが、あえてまとめてみると、それぞれのキャラクターが各々に屈託を抱えていることで生じる人間関係のギスギスや陰影を丁寧に拾っているところと、時折そうした屈託や一筋縄ではいかないあれやこれやを突き破ってでてくるキャラクターの想いのアツさにあるのかなぁ、と思います。それを一言で表すと青春だなぁという雑な感想になるみたいな(謎)
 そういう観点からいくと、二期の前半部分にあたるのぞみぞ編も面白かったのですが、個人的には後半の黄前ちゃんとあすか先輩とか、お姉さん(麻美子さん)との描写がすごく好きで、印象に残る場面が多かったなと思います。とくに台所作業をしながら黄前姉妹が語り合うところとか、そのあとの朝の通学場面で黄前ちゃんがお姉さんを思って泣くところとかすごく心にしみる場面ですし、あすか先輩に黄前ちゃんが怒る場面など、一期前半であんなにアンニュイ感というか、微温感を醸していた黄前ちゃんが、こんなにも熱い思いの丈をぶつけているのをみて感動しないわけがない、という感じですね。
 しかもこの二人の関係のいいところは、この黄前ちゃんの思いが決して単純な先輩大好き、みたいなものじゃないというところですね。少し姉とあすか先輩を重ねている、考え方によってはよろしくないところもあるし、あすか先輩のこじらせ発言をなんども目の当たりにしてきて「この人ちょっとめんどくさいなあ」とか「感じ悪い人だな」みたいな思いももっている。でもそういうの全部ひっくるめても、というかそういうところ含めてこの人と一緒にユーフォを吹きたいという気持ちが黄前ちゃんにはあり、それはやっぱりこれまでの部活動を通しての思いの集積からしかでてこないもので、そこにはこの二人が過ごしてきた固有の時間があるんだなと思ってこの場面を見ると、やはりグッときてしまいます。
 そして、あすか先輩のほうもやはりちょっと醒めた見方というか、性悪説的な見方を好む方のキャラクターなので、こういう黄前ちゃんの思いに対しても、どこかでおそらく冷徹な考え方をしている部分はあるはずなんですよね。それこそたとえばこの子は誰かと自分を重ねているんだな、というようなところまで見えているのではないかとも思うのですが、しかしその一方では、本質的な部分で黄前ちゃんは自分をわかっている、あるいはわかろうとしてくれている人種なんじゃないか、という信頼を持っているようにも見える。だから認めている。お互いがお互いに対してこういう複雑な好意をもっているところが、この二人の関係性が僕の琴線に触れる理由だったりします。
 まああんまりこういうことをいうと田中あすか黄前久美子しか見てないじゃないかとかただの厄介百合CP厨かと思われかねないのですが、そんなことはなくて(そもそもこの二人の関係性を百合とは呼びたくない)、結構この作品は全体的に素晴らしい作品だと思っています。下手をするといままで見てきた京アニ作品のなかでも一番好きかもしれないというくらい好きな作品でした。どうしてもけいおんとかハルヒとかCLANNADとかのほうが思い出補正が強いのですが。 

聖剣使いの禁呪詠唱

 これも銀英伝と同じく、人に勧められてニコ動のコメント付きで一緒に見たアニメです。メインヒロイン二人のうちひとりが悠木碧だったのでめっちゃ期待していたわりに僕の好きな悠木碧じゃなくてちょっとテン下げしたということはありましたが、本当に良い意味でのクソアニメで、今まで僕が一番好きなクソアニメといえばおにあいだったのですが、それをも軽々と凌駕していった。これは頭一つ分抜けていましたね。もちろん褒め言葉です。
 とはいえ、そういったクソアニメ要素や数々の鉄板ネタ(原作者も知らないドラゴン、俺俺奪奴絶許など)を除いても本作は石鹸枠としてふつうに面白かったなというところはあって、そういう意味では石鹸枠アニメの面白さとクソアニメとしての面白さが共存しているほんとうに素晴らしクソアニメだな、と思いました。中毒性がありますね。
 個人的には小見川千明の良さを再認識したアニメでもあります。

やはり俺の青春ラブコメは間違っている。(3回目か4回目)

 これまた友人たちと見たものです。
 すでに以前に何周かしたことがあったのですが、そのときとはまた見方が変わってきたということがありました。たとえば、俺ガイルといえば基本的にオタクの自己投影を誘発しやすいコンテンツというか、ようするに比企谷八幡高二病を目の当たりにしたオタクが「比企谷八幡、俺じゃん」となることでハマってしまうという仕掛けのコンテンツですが、それは要するに、この作品がオタクというか陰キャが日頃学校生活などで感じている陽キャ的振る舞いへの違和感や屈託(しかもそうした違和感や屈託はたぶんに自意識や倫理観と関わっている)、またそういうことを感じてしまうような状況が具体的かつ細かく描かれ、掘り下げられているということでもあります。それで、以前、それこそ比企谷八幡に自己投影したり、逆に同族嫌悪したりしていた典型的なオタクだったころの僕は、その描き方そのものに感心するというよりも、やはり比企谷八幡と一緒に作品世界に浸っていたわけですが、今回これを見ながら僕が感じたのは、どちらかというと前者の気持ちでした。一期の文化祭実行委員会の描写なんか、なんでこんなに集団作業で生じるあのえもいわれぬ「嫌な感じ」を描くのがうまいのだろうと改めてびっくりしたり。
 それから、比企谷八幡に対する共感というのは相変わらずあったのですが、今回新たに得たのは、それでもやっぱりこの作中で一番偉いのは由比ヶ浜結衣だよな、という見解です。これには個人的な文脈があって、僕は昔から「卑怯なコウモリ」という童話のコウモリが好きで、それはあの物語のコウモリ像を「コウモリは鳥にも獣にもなれない半端者で、風見鶏である」と考えるよりは「コウモリはどちらの要素も兼ね備えているからこそ、二つの対立勢力のあいだをとりもつことができる存在だ」というふうに積極的に解釈しているからなのですが、それと同じことが由比ヶ浜結衣にもいえると思うわけです。由比ヶ浜結衣陽キャになりきれないキョロ充的な存在で、陰キャの屈託もどこかで理解している部分がある。その両方の立場がわかるからこそ、由比ヶ浜結衣はあんなに優しいわけで、これについてはあんまりうまくいえないのですが、僕はそういう由比ヶ浜結衣の卑怯なコウモリ的なところにこそ、おそらく比企谷八幡に対して誰もが感じる「間違い」を、でもその間違いのきっかけとなった彼のこじらせの正しさを損なわないままで、変えるヒントがあるような気がします。
 このオタク由比ヶ浜結衣好きすぎる…。

リズと青い鳥

 ユーフォ二期を見た熱のままゲオでBDを借りて見ました。前評判でユーフォ好きの友人から公式二次創作と聞いていたのですが、本当に作風が違いすぎてびっくりしましたね。
 音の演出や、ストーリーテリングの特殊さ、そしてそもそもこの作品を企画したこと自体からして実験的で面白いなと思ったのですが、ただ物語として筋が通っているかというと少し意味の対応がとれてないなと思うところがありました。たとえば、リズ=みぞれ、青い鳥=希美という構図を後半でひっくり返すところなど、「果たしてそういえるのか?」というところはあった気もしますが、これはまあ受け手の解釈の問題でしょう。実はこれについては一本文章をものそうと思っていたのですが、ちょっといろいろ文脈が絡まりすぎて断念しましたね…。
 これについてはちょっと色々考えたいことがあるので、現段階ではあんまり踏み入った感想は言いたくないというのがあり、ここらへんで終わっておきます。

 

◯映画

アヴェンジャーズ エイジオブウルトロン

 とにかく後半の情報量が多すぎて思い出しただけで頭が痛くなってくるのですが、トニー・スタークがプレミしておいて反省しないみたいな展開で「こいつほんと自己中だな」と思ったのだけは覚えています。とはいえ、そもそもスタークというキャラクターの魅力はそこにあるのかもしれません。いやそのミスで何人も人が死んでるんだから魅力とか言ってる場合ではないのですが、そういう間違いを積み重ねながら、それでも少しずつ変わっていく姿を見届けたいなと思わせるキャラクターなんですよね。このあとシビル・ウォーを見たときにも、あらためてそう感じました。全作踏まえないでこういう語りをするとMCUのオタクからの怒られが発生しそうなのでここらへんで終わっておきたいと思いますが…。

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー1&2

 世の中幸せな家族ばかりではないとか、個人の人格形成(というか個人が自分のなかに持っている人格形成のストーリー)に深く関わっているとかいう理由で、「家族」をフィクションで描くのは政治的になかなかセンシティブなことだと思いますが、僕はわりと家族をどう描くかって大事な気がするので、そういう意味でそういう危険性を恐れずなのか知らずなのか、とにもかくにもちゃんと前面に出した本作は個人的に興味深く、かつエンタメとしても面白かったので、MCUの他の作品と比べてもわりと好きな部類でした。主人公がよく聞いているレトロな音楽を要所要所で効果的に使っているのもポイント高かったです。 

マイティ・ソー1&2

 僕の周りはそんなに面白くないと言っている人が多く、マイティ・ソーが面白いのは3からだという意見が主流なのですが、僕は1と2の時点でわりと面白かったです。でもおそらく彼らと僕の見方はちょっとずれていて、僕はソーよりもロキのほうがキャラクターとして面白くて、そっちにフォーカスした見方をしてしまったがゆえに、この二作を楽しめたということがあったんですよね。
 それで、なんで自分はロキみたいなキャラクターが好きなんだろうと自己分析して思ったのは、ひとつには、出自のせいでいろんな屈託を背負わざるを得ないキャラクターが好きなんだなということです。ソーはそれこそオーディンの血を引いた正真正銘の嫡子ですが、ロキはそうではない。ロキはファミリー・ロマンスの一種である捨て子の物語を、幻想のレベルではなく実際のレベルで過去として背負っていて、だからこそ他者からの愛に対する拭い去れない不信感と、自分のヤバさと血の関わりについての暗い想いみたいなものを抱えている。そういうところから出てくるロキの陰影とか、掴みがたさみたいなものをすごい魅力的に感じてしまったので、面白く見ることができた、ということがありました。 

Fate/Stay night[Heaven’s Feel]  Ⅱ.lost butterfly

 僕が最近アニメ映画で圧倒された体験というと「この世界の片隅に」を映画館で見たときでしたが、それとはまったく別の意味で本作には圧倒されました。あんまりこういうオカルティックな表現は好きではないのですが、「作り手の魂がこもっている」というのはこういうことなのかな、という感じで。
 戦闘描写の迫力、音楽の良さ、演出のすごさなど、とにかくいうべきことはたくさんあると思うのですが、ちょっと情報量が多すぎて言語化が追いついてないというのと、見たのが文章を書いている現在地点から数えて数ヶ月くらい前というのがあって、なかなか言葉が出てきません。ただ、強いていうとするならば、僕が本作についてまず思ったのは、これは処女厨の病をどう考えるかみたいな話なのではないかということです。
 いや、これ一見怪電波のような話、というか怪電波なのですが、いちおう根拠はあるにはあって、それは本編前半で桜が「私は処女じゃない」みたいなことをよくわからない文脈で口走るところです。ここのシーンは他にある数々のものすごいシーンたちと並べたときにもちょっと異様な感じのする場面で、それはなぜなのかというと、おそらく「ヒロインは処女でなければならない」という価値観が、それを日頃意識的には否定している僕の心にもどこかで根付いていて、それが物語の進行の文脈をぶった切って、あまりにも赤裸々に取り上げられたからではないかと思います。そしてうまくいえないのですが、この純潔というものにこだわる価値観と、衛宮士郎のサヴァイバーズ・ギルトと切嗣への憧憬からくる病的な正義感は、どこかで通底しているような気がするのです。そしてその正義感自体は決して否定されるべきものではないが、それはどこかで病んでいる、というこの両義性をどう扱うかというときに、桜の非処女宣言の異様さをどう考えるかという問題が出てくる気がします。いまのところは、とても抽象的で、ふわっとした話なのですが。
 まぁしかし、そんなふわふわとした話はここらへんにしておいて、もうひとつこの作品から出てくる問題をとりあげると、それは間桐桜を好きでいいのか問題です。これを僕は「夢見りあむ問題」と呼んでいるのですが、その中身を簡単にいうと、夢見りあむをそのクソ雑魚メンタルによって愛しているオタクは、夢見りあむの成長を欲望することができない、つまりある意味で「問題」であるかもしれない夢見りあむの性質を美学的に肯定してしまう、という問題です。これをより一般化すれば、あるキャラクターが問題となりうるものをもっているときに、それを嗜好してしまうと、よろしくない現状肯定になりうる、という問題といえる。これが間桐桜を好きなオタクについてもいえるわけです。というわけで深く反省したいと思います。