かんぼつの雑記帳

ほとんど個人用メモ。アニメ・哲学などを扱ったエッセイを投稿しています。

隈、陰キャ、三白眼、ゾンビ

とくに突っ込んだ話はしません。きわめて私的な話になっています。

 

 

誰にでも変わった趣味嗜好のひとつやふたつはあるものだ。もちろん、僕にも例外なくそんな趣味嗜好が存在する。

それに最初に気づいたのは、大学生の頃だったと思う。僕はある日、『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』の不破氷菓や、『リトルウィッチアカデミア』のスーシィに異常に惹かれている自分に気がついた。そしてその共通点を探っていった結果、そこから「隈がある」「陰キャ」「偏執的で変人」といった要素を見出すに至った。

そうして振り返ってみると、またべつに二人ばかり似たようなキャラクターに心当たりがあることに気がつく。それは『とある科学の超電磁砲』の木山春生であり、『じょしらく』の暗落亭苦来である。後者は不破氷菓とならべるとキャストが後藤沙緒里という別の線も見いだせるのだが(なお僕は後藤沙緒里の声が大好きであり、またこれはきわめて個人的な見解であるため必ずしも多くの同意を得られるとは思わないが、彼女については『咲』のすこやんが至高のハマり役だと考えている)、いずれも、僕が高校生の頃に萌えていたキャラクターであった。

断っておくが、僕はもちろんマイナー性癖持ってるオレ、みたいなサブカルクソ野郎的自意識を持ち合わせてはいないし、ましてやそのような魂胆からことさらにこういったキャラクターたちを称揚しているというわけではない。たんに、このキャラ可愛いな、あのキャラ素敵だな、という経験的なデータが積み重なった結果、ある日こうした嗜好を帰納的に理解するに至ったというだけの話である。

それにしても、なぜ僕は斯様な奇妙な嗜好をもつにいたったのか。それはおそらく、小中時代のデスノートの読みすぎに起因している。

僕が小学生だった当時、巷ではデスノートが爆発的に流行っており、周りにそのタイトルを知らないクラスメイトはいなかったといっていい。僕も多少遅れてではあるが、なんかのきっかけでこのコンテンツに接する運びとなり、たちまち小畑健のおそろしく上手い絵や、大場つぐみの独特の長広舌とケレン味にノックアウトされてしまうこととなった(大場つぐみのしょーもないミソジニーにはここでは目をつぶっておく)。

そして、とりわけこのデスノートのなかで僕が好きだったキャラクターは、(これは当時デスノートに熱中したほとんどの人がそうだったと思うが)夜神月ではなくLであり、ニアであり、メロだった。なにしろこの三人は一癖も二癖もあり、各々に見せ場があり、最高にかっこいい。その時期、僕は何かに憑かれたように隈がある三白眼のキャラクターの顔を自由帳やコピー用紙に描きまくっていたが、これは明らかにこのお三方のせいである(ちなみに、現在の僕には三白眼萌えもある。具体的には『僕のヒーローアカデミア』の耳郎ちゃんは梅雨ちゃんと並んでヒロアカ屈指のヒロインだと思うし、『だがしかし』のキャラデザは全般に刺さるし

、神のみの小阪ちひろのアニメ版キャラデザの瞳の部分が新しいクールで大きくなったときには、それは深い悲しみを覚えた)。

そう、どうやら僕の隈萌え・陰キャ萌え・そしてここに足してもいいならば三白眼萌えのルーツは、ここにあるらしい。これ以外にこれといった心当たりがないのである。

しかしここで疑問なのは、かりにこのような仮説が正しいとして、ではなぜ男キャラに対して抱いていた美学的な感情が、後年によりにもよって美少女萌えに転化しているのか、ということである。僕はお三方を魅力的だとは思っても、彼らにときめいたことはない。ではなぜそれが性別の壁を超え、萌えに結びついているのか。これは非常に大きな謎である。

そして最近、この嗜好は、ゾンビ美少女萌えにまで至ってしまった。『ゾンビランドサガ』もそうだが、『さんかれあ』が気になってしょうがないし、前は人間に戻って欲しいと考えていた気がする『東京レイヴンズ』の夏目も、これは実質ゾンビなのでゾンビのままの方がいいかも…と思い始めてしまっている。そしてこれは単体で唐突に生まれてしまった嗜好ではなく、陰キャ萌えや隈萌えと結びついていると思うのだ。これは論理的な話ではなく、事実として、そのような属性を持つキャラクターたちに抱いているこのえもいわれぬ感情に近いものを、ゾンビ美少女たちに対しても感じるのである。

とはいえ、僕はロメロを見たこともないただの俄ホラー映画好きだし、今まで別にゾンビをどうと思ったこともなかったのだから、これについてはデスノートのような特定のルーツを仮説として提示できるわけでもなく、なぜ自分がこうなったのかはよくわからない。今一部で流行っている『ゾンビランドサガ』の放映より前にはもうこうなっていたから、これがきっかけというわけでもないらしい。

人間、自分のことほど案外よくわかっていないものだが、そうした自身にまつわる様々な謎のなかでは、最近はもっぱらこうした嗜好に関心を抱いている。これはそんな関心に基づき自分の嗜好について考えるための、備忘録がわりの文章である。